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2013/05/09

全日本プロレス王道史(#10)

録画した日〔2013/3/30:サムライTV〕

昭和56年1月、2月に行われたジャイアント馬場3,000試合連続出場突破記念試合。
AWA、NWAの二大世界王者を連続招聘した超豪華イベントです。
記念試合の第一弾は「AWAの帝王」バーンガニアとのAWA-PWFダブルタイトルマッチでした。
AWAルールが採用された60分3本勝負。馬場さんが勝てばNWA、AWA二大最高峰登頂というプロレス史上空前の偉業を達成する事になります。
大正15年生まれで当時54歳(大正12年生まれの説もあり)のガニアは、スクリュー式ドロップキックを敢行するなどヨタヨタながらもエネルギッシュなファイトで当時42歳働き盛りの馬場さんと堂々のマッチアップを展開。
1本目はガニアのスリーパー、2本目は馬場さんの16文キックと、両雄のフェイバレットホールドが爆発し決着の3本目へ突入します。
もちろん3本目はプロレス界全体の繁栄を鑑みた両者リングアウトドロー。ガニア、馬場さんとも虎の子ベルトをきっちり防衛しました。
なお、この円熟のダブルタイトル戦は猪木vsハンセン(4.23蔵前)やアンドレvsハンセン(田コロ)などの伝説的名勝負を押し退けて、どういった訳だかプロレス大賞の年間ベストバウトに選出されています。

ガニア戦の1ヶ月後に開催された記念試合第二弾は、馬場さんにとって連続出場3,135試合目(根拠不明。ちなみにガニア戦は3,126試合目)。
4度目の返り咲きを期して「美獣」ハーリーレイスの持つNWAヘビー級ベルトに挑みます。
60分3本勝負で行われた一戦は、世界最高峰の証・デッドリードライブ芸も炸裂する安心のクオリティ。
必殺のランニングネックブリーカードロップで馬場さんが1本目を奪取すると、王者レイスが芸術的バーティカルスープレックスで雪辱。1対1のイーブンとなり決着の3本目を迎えました。
馬場さん戴冠モードで盛り上がる3本目。しかしそんなファンの期待を切り裂くように、王者レイスは卑劣極まりないローブローで馬場さんのジャイアントスポットを一閃します。
この悶絶強打が3000試合突破の馬場さんへの「祝砲」なのか?。
大事な記念試合は、悪名高きNWAルールに庇護された王者による理不尽反則防衛となってしまいました。

世界マット界の頂点と呼ぶに相応しい、権威に満ち満ちた2連戦。
結果はともかく「実現させたこと」に重きを置く、いかにも全日本プロレス=馬場さんらしい格調高い打ち上げ花火です。
そしてこの2連戦の開催地は収容人員2000人弱の聖地・後楽園ホール。
昭和のプロレスファンは、手を伸ばせば届くような距離から世界の至宝を眺めていたという事になります。
まさしく一握りの者だけが体感できた極上空間。もうちょっと早く生まれてりゃこの中に入れたのかも…、ないものねだり感が増幅する素晴らしきプロレス遺産です。