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2013/05/21

ヒーローたちの名勝負「ジョホールバルの舞台裏 日本サッカー歴史的勝利」

録画した日〔2013/4/20:NHK総合〕

日本がW杯初出場を決めた1997年11月16日のイラン戦(マレーシア・ジョホールバル)。
キャプテン井原、ゴン中山、城彰二が各シーンを振り返ります。
プリップリッの笑顔で16年前の死闘を振り返るポッチャリ系男子。
大きくなったどっかの子役タレントかと思ったら、後半31分に渾身の同点ヘッドを叩き込んだ城彰二でした。
まさしく起死回生価千金のヘッド。私としては岡野のアレよりも思い入れは強いかも知れません。16年経った今見ても全身を熱いものが駆け巡ります。
岡野のアレだけではなく、城彰二のコレも日本サッカー史に残る名場面として100年、200年と語り継がれるべきでしょう。
キャプテン井原、ゴン中山が一番恐ろしかったシーンとして振り返ったのが、延長後半11分のアリ・ダエイによる「どフリー(ゴン中山)」シュートでした。
当時テレビで見てた私はなんとも思わなかったんですが、いろいろ調べるとあの中田ヒデですら「完全にやられた」と絶望した程の最悪局面だったようです。
アジア最強FWには申し訳ありませんが、日本人としては外してくれて何より。この案件で「たられば」は考えたくもありません。
当時のイラン代表はこのダエイの他、車椅子大好きアジジや、若き天才マハダビキアなど「畏れ」といった言葉がぴったりの尊敬すべき強豪。好感度抜群のヒール軍団だったと思います。
まあ、あの日負けなかったから言える事なんでしょうが…。

「マガジン」「ダイジェスト」を両方買って、仕事してても頭の中は勝ち点計算でいっぱい。KINGカズを応援したり嫌いになったり、歓喜、落胆、絶望、妄想、現実逃避のジェットコースター状態…。
9月7日の第1戦国立から最終決戦ジョホールバルまでの2ヶ月は、私が人生で最もサッカーにのめり込んだ期間でした。
広島アジア杯→ドーハ→アトランタ→ジョホールバルと、ほぼ2年周期で壮絶ドラマを見せてくれた1990年代の日本代表。
2002年W杯の時には既に「昔は良かった」系の食えない奴になってしまっていた人も多いはずです。
そろそろドーハを知らない世代が代表の中核を占める頃か?
世界標準になろうとも、もう二度と起こり得ないアジアローカルの狂乱をいつまでも伝承していってほしいものです。