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2014/02/05

ワールドプロレスリングクラシックス#69「IWGPシリーズ特集」

録画した日〔2013/5/2:テレ朝チャンネル2〕

昭和55年暮れにブチ上げられた世界統一構想「IWGP」。
3年後の昭和58年、世界各大陸の強豪(一部例外あり)10選手が集結し「IWGP決勝リーグ戦」として実現にこぎつけました。
1ヶ月のロードを経て迎えた6月2日蔵前大会。
提唱者にしてガチ本命・猪木との優勝戦に臨むのは、サンダーリップス名義の黒ハッピに身を包んだハルクホーガンでした。
ホーガンの初来日は、奇しくもIWGP構想と同じ昭和55年。
しかしその後3年で描いた成長曲線は、モタついてショボくなったIWGPとは段違いのスケールだったと言えるでしょう。
結末がアレなのでアレなんですが、この試合の全般をとおして目を引いたのはグランド系の重厚な攻防。
ホーガンは「現代に蘇ったネプチューン(by古舘)」としてのパワー殺法も繰り出しつつ、腕を極めたり足を取ったりフェイクを入れたり師匠・猪木譲りの日本流ファイトを一生懸命こなします。
背中毛ボーボーの不器用ラフファイターが、たった3年足らずで洗練されたネプチューンへ変貌。
後年、ハルカマニア大暴走とともにせっかくの日本仕様を返上するところまで含め、ホーガンの順応性とあくなき野心、向上心は賞賛に値するものでしょう。
ちなみに昭和のプロレスファンとしては「ホーガンはワシらが育てた」と世界中のハルカマニアに胸を張りたい心持ち。
ご本人は決して認めないでしょうが…。
試合終盤の場外戦、ホーガンは背後からのアックスボンバーで猪木を鉄柱にサンドイッチ。この時点で猪木の意識が飛んでいたというのが定説です。
そしてフラフラ登ったエプロン越しでアックスボンバー直撃を食らい猪木は轟沈。
2発の「三叉の槍」がプロレス史上空前のアクシデントを巻き起こしました。
舌を出して失神KOという無様な姿を晒した猪木。
勝ったのに狼狽するホーガンと大慌ての新日セコンド陣、解説の仕事を「ちょっと待って下さい」と放っぽり出す山本小鉄…。
プロレスの範疇を超えた尋常でない事象が起こっているのは間違いありません。
しかしこの舌出しKO劇、アッカンベーではありませんが猪木が独断でブチかましたブック破りだったという説が有力視されています。
その理由は、休みが欲しかったからとか借金取りから逃げるためだとか諸説諸々。
坂口征二(この試合のブッカー)が「人間不信」と四字熟語を残して失踪したというネタも含め、ファンタジー要素の尽きない大アクシデントです。
これが猪木一世一代の狂言だったとして、では誰がどこまで事前に把握していたのか?
勝利の喜びなど微塵もなくひたすらビビっていたホーガンは「シロ」確定…。
いや、その後の米マットおよびショービズ界における畜生っぷりからするとこのビタミン野郎もグル=クロだったのでは?
何だかこっちまで「人間不信」になってきます。
超過激アナ・古舘伊知郎はそんなシロクロなど関係なくエンジン全開。
鳴り止まない猪木コールに対し「乾き切った時代に贈る、まるで雨乞いの儀式の様に…」とやったくだりは、昭和プロレス史に残る名フレーズではないでしょうか。
一方、解説の桜井さんは東スポ所属というだけである意味クロ。
「医学的なことは分かりませんがねぇ、心臓の方もねぇおかしくなってるんじゃないでしょうかねぇ」「単なる脳しんとうだといいんですけどねぇ」と大ボラインチキ放言で東スポの社是を貫きました。
この2年後ニューヨークでトップに立ち、あっという間に世界マットを統一した唯一無二の超人。
プロレス界におけるステータスでは完全に師匠猪木を凌駕しました。
そんなホーガンのキャリアの中では、この日本マット史上未曾有の大アクシデントもちょっとした面白エピソードにしか過ぎないのでしょう。

蔵前決戦の1週間前、5月27日高松大会では猪木vs前田の超過激師弟対決が実現しました。
関西人なのになぜか「ヨーロッパ代表」として凱旋帰国したスパークリングフラッシュ前田。
キャリア的にまだまだ猪木とタメを張れる訳がなく、玉砕前提のチャレンジマッチという位置付けです。
なお、試合前には古舘アナが優勝戦目前の超過激な戦況を報告。
中南米代表・エンリケベラ&カネックの泡沫っぷりや欧州代表・オットーワンツの不戦敗逃亡など、行間にプロレス情緒が満ち溢れる手書きの星取表です。
12種類のスープレックスのうち最低6種類は仕掛けたいと試合前に嘯いていた前田。
ドラゴンやジャーマンなどを綺麗に決めましたが、最後は猪木の延髄斬りであっさりピンフォール負けを喫してしまいました。
IWGPの時点では期待の若手に過ぎなかった前田。この1年後には、猪木がトンズラした「万里の長城」UWFへ出向する事になります。
そして更にその後、前田はイデオロギー的に危険な存在として猪木の前に立ちはだかることに…。
両者にとって最初で最後のシングル戦は、そんな嵐の予感など微塵もない爽やかな大団円に終わりました。

IWGPとは猪木の猪木による猪木のための世界統一構想。
それを最後の最後で自ら全部ブッ壊すあたり、猪木イズムここに極まれりといったところでしょうか。
私は当時小学5年生。
蔵前決戦の翌朝、新聞(もちろん一般紙)を見た母による「猪木が入院したって」という想定外のネタバレに愕然とした記憶があります。
後に世界最高のビッグネームとなるホーガンが優勝した事は、結果的にIWGPにとって良かったはず。これが猪木だったら結局はローカルトーナメントの1等賞で終わっていたでしょう。
惜しむらくはホーガンを「初代チャンピオン」として認定し損ねたことでしょうか。
あの日ホーガンが巻いた1億円ベルトは、リニューアルやら持ち逃げやらを経て、今は当時生まれてもいなかったレインメーカー・オカダカズチカの腰にあります。