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2014/06/17

全日本プロレス王道史(#31)

録画した日〔2013/3/30:サムライTV〕

昭和58年8月31日に開催されたテリーファンク引退記念試合(ファンクスvsハンセン&テリーゴディ)。
会場の蔵前国技館は超満員札止め13,600人の大観衆で埋め尽くされました。
テリーによる「Forever」連呼にアオられ、悲鳴と絶叫の狂熱状態となった蔵前。
常に冷静沈着な兄・ドリーが立てた人差し指が“1回目”のサジェストである事を、ファンはこの時気付く由もありませんでした。
3年前に引退宣言しちゃったばっかりに、39歳(デビュー18年目)というキャリアのピークでリングを去る事となったテキサスブロンコ。
疑う事を知らないファンクス大本営アナ・倉持さんによると、4度メスを入れたヒザがもはやボロボロの限界に達しており、この試合直後にアメリカで5度目の手術を控えてるんだそうです…。
初来日ながらプロレス史上屈指のビッグマッチに抜擢された人間魚雷・テリーゴディ。
「本家」テリーとモロ被りの赤いコスチュームはご愛嬌としても、本家の代名詞・スピニングトーホールドをパクっちゃうのはさすがにアウトでは?
物怖じしない22歳。後にいろいろ問題を撒き散らす無軌道なトンパチ野郎の片鱗を伺わせてくれました。
師匠ファンクスの引き立て役、および新人ゴーディのお世話を任されたハンセンはいつにも増して暴走気味。
悲しみに暮れる黄色いボンボン娘たちの客席に突撃するなど、ブレーキの壊れたダンプカーっぷりが炸裂します。
ちなみにこの記念すべき日の番外ラリアット犠牲者はエメラルド・三沢光晴でした。
大泣きの荒馬が辿ったその後のレスラー人生は説明不要。
プロレス的には特に問題のない大ボラ引退興業なんですが、テリーをアイドルとして崇め涙した黄色いボンボン娘たちはその変節をどう受け止めたのでしょうか。

8.31蔵前もう1つのビッグマッチは、王者ブロディにジャンボ鶴田が挑むインターナショナル選手権。
鶴田を過去4度返り討ちにしているキングコングは、蔵前恒例のマス席ぶち壊し行脚で圧倒的な存在感をアピールします。
一方、この年6月に代名詞のUNベルトを返上して背水の陣を敷いたジャンボ。
前々からインター奪還が日本人の悲願みたいな事になっており、万年善戦マンの殻を破るべく絶対に負けられない戦いとなりました。
お客さんの大声援を受けて押せ押せのジャンボ。
しかし、いよいよ戴冠ムードが高まってきたところでレフェリー・ジョー樋口と悲運のごっつんこ。
毎度おなじみNWA公認の失神劇場が発動されてしまいました。
ジャンボ戴冠を願うお客さんは、なんと異例の「樋口コール」で脆弱系レフェリーをアシスト。
なんとか息を吹き返したジョー樋口は、場外に出たり入ったりの両者を厳格にカウント。そんなこんなの間にスルっとリングに舞い戻ったジャンボへリングアウト勝ちをプレゼントしました。
何だがズルしていただきっぽいラストではありましたが、とにもかくにも11年ぶりに誕生した日本人インター王者。
流血のジャンボ(とジョー樋口)が切り開いたこの道は、やがて3冠統一という壮大なドラマへと繋がっていきます。

大盛況の8.31から1週後の9.8千葉公園体育館大会。
この年2月のセントルイス遠征で至宝PWFベルトを奪還した馬場さんが宿敵・ハンセンを迎え撃ちます。
この一戦において馬場さんが重きを置いていたのは、コーナーポスト最上段からのジャイアント空中殺法。
前年4月の東京体育館決戦でやらかした大失敗のリベンジをすべく、虎視眈々とチャンスをうかがっていました。
6分過ぎ、リズム良くコーナーポストに駆け上がった馬場さんは迷う事なく高度4m級のジャイアントダブルチョップを投下。
着地失敗はブレの範囲、大ボラ・倉持アナが「ウルトラC!」と絶叫する超大型空中技がついに成就です。
ノリノリの馬場さんは、グロッキーのハンセンにランニングネックブリーカードロップで追い打ちを敢行。
流れるような展開に、倉持アナは「久々にジャイアント馬場がリングの中を走った!!」と褒めてるんだか貶してるんだか分からない大興奮状態です。
完全に試合を支配したと思われた馬場さんでしたが、その3分後にウエスタンラリアット直撃で無念の轟沈。
ウルトラC大成功で気が緩んだのか天国から地獄のPWF流出。ちなみにハンセンとしてはこれが全日移籍後初めての王座戴冠となりました。

ファンクス依存からの脱却として全日の1つの転換期となったテリー引退劇。
翌年の電撃復帰が待望ではなく顰蹙のお笑いネタにしかならなかったのは、鶴田やハンセン、ブロディらの次世代がこの時既に盤石だったためでしょう。
誰も血を流さず気が付いたら風通しが良くなってる、いかにも全日らしい世代交代の儀式でした。