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2015/05/07

プロレスクラシック(63) テリー・ファンク涙の引退試合「昭和58年8月31日、日本中が涙した」

録画した日〔2014/8/30:日テレG+〕

昭和58年の8.31蔵前大会で行われたテリーファンク引退試合(1回目)。
その前日には、馬場さんの故郷新潟で超豪華6人タッグ戦が実現していました。
「ミーに行かせろって!」と懇願するテリーとそれを制する兄貴ドリー。
ファンクスの試合前定番ムーブではありますが、この日はその傍らにボス・馬場さんが控えるというスペシャル版。
昭和外人レスラーの憧れ「All JAPAN」を築いた3人が堂々の揃い踏みです。
全員元NWA王者の超豪華トリオとくれば対戦相手も当然超ド級。
「総重量410kg。地上最大の巨大パワーチーム(by倉持アナ&田鶴浜さん)」のハンセン+ブロディ+テリーゴディが登場すると、超満員5,800人の新潟のお客さんは早くも沸点到達です。
後輩ゴディを後方支援する超獣コンビ。コーナーポストをはさんだツーショットはとても貴重です。
ちなみにゴディはこれが初来日の弱冠22歳。
しかし臆するところや初々しさなどビタ1文なし。“華麗なる自由の鳥”の異名どおりビッグマッチを悠然と引っかき回しました。
盟友への餞別と自らの地元凱旋をうまいことミックスした敏腕プロデューサー・馬場さん。
レスラー、お客さんともテンションが下がりようもない神興業。倉持アナによる「前売り券は3日で完売」との煽りも今回ばかりは大ボラではないでしょう。
6人がバァーンと並んだだけでお腹いっぱい。
当時小学生だった私にとっては“本番”よりも血が騒いだビッグマッチ。結果が掲載された東スポを食い入るように読んだ事を思い出しました。

いよいよこの日を迎えてしまった8.31蔵前決戦。
別れを惜しむ熱狂的テリーファンで国技館は13,800人超満員札止め。いつも陽気なテキサスブロンコもさすがに緊張の面持ちです。
膨大な紙テープと黄色いボンボン(赤/白もあり。後述)に迎えられたテリー。
リング上に並んでいるのはテリーにガッポリ儲けさせてもらったマスコミ連中。ハンセン&ゴディが入ってくる前に感謝感謝の引退セレモニーが執り行われます。
砂かぶり席に陣取ったのは、エレガントなビッキー夫人とテキサスのおてんば娘ギミックを忠実に守る2人のお嬢さん(長女ステイシーちゃん、次女グランディちゃん)。
試合見学中に超獣ブロディのキングコングニードロップを食らわされたドリーの息子・ディンク君とは雲泥の差のVIP待遇です。
馬場さんからは金一封贈呈。ハンセン引き抜きに象徴されるとおり、テリーは全日の外人招聘ルートを強固なものとした功労者です。
それにしても馬場さん、テリー2人とも実に素晴らしい笑顔。お金では計れないイイ関係がうかがえます。
セレモニー終了後、臨戦態勢の束の間にはジョー樋口と熱いハグ。
テリーが生ける伝説になったのもこのハゲのレフェリングがガバガバだったからこそ。リング外では身の回りの世話をしてもらったり、テリーにとって最大級の恩人です。
そんなまったりムードをブチ壊してリングへ雪崩れ込んで来たハンセン&ゴディ。ゴングを待たずに奇襲攻撃を仕掛けます。
テリーは大好きな紙テープでグチャグチャ恍惚状態。これはハンセンが送った餞別なのかもしれません。
ローリングクラッチホールドでゴディを沈めたテリーは、兄貴ドリーに支えられて最後のご挨拶。
血と汗と涙でグシャグシャの“フォーエヴァー!”連呼は、ラッシャーの“こんばんわ”やドラゴン藤波の“お前ヒラタだろ”と並ぶ日本プロレス史上屈指の名マイクパフォーマンスです。
次代の大物・三沢や川田によるディフェンスのもとモミクチャになって支度部屋へ帰るテリー。この毎度おなじみの光景もこれで見納めです。
名曲・スピニングトーホールドに合わせ万雷の手拍子と絶叫、悲鳴が交錯する蔵前。前代未聞の引退興行はこれにて大団円となりました。
8.31テリー引退試合といえば健気に黄色いボンボンを振り続ける娘さん達が印象的。
しかしなんと今回、赤白ボンボンで構成された別ボンボン組織の存在も確認されました。
いずれの組織も最後はヘロヘロの大号泣。8.31は彼女たちにとっても区切りの記念日となったのでしょう。

今回のクラシックでは日本テレビ所有のテリー名場面集も放送されました。
まずは昭和48年10月インタータッグ戦。
王者テリーは馬場さんのジャイアントな脳天チョップに重力無視の超特大バンプで答えます。
昭和51年には世界最高峰NWA王者として参戦。防衛成功後、小鹿社長の仲介で敗者ジャンボとガッチリ握手です。
気になるのは田植えから帰ってきたみたいな首タオル姿のジャンボ。これは番組スポンサー井関農機への敬意なのでしょうか。
説明不要の昭和52年オープンタッグ。
もちろん一番悪いのはブッチャーでもシークでもなく、集合写真のド真ん中にいる脆弱系レフェリー・ジョー樋口です。
すっかりドル箱となったブッチャー&シーク戦。昭和54年には七夕の品川プリンス大会でもマッチメイクされました。
けっこう珍しいファンクスの試合前インタビュー。
昭和プロレスファンとしては聞き手・倉持アナ、通訳・百田というだけでワクワクが止まりません。
昭和56年4月の千葉県松戸大会。
ブロディの負傷欠場で急遽実現した夢のファンクス兄弟対決(抽選によるインターヘビー級防衛戦)は、50分を超えるクラシカルな攻防の末、兄貴ドリーが弟を退けています。

8.31蔵前で行われたNWAインターJr戦。
チャレンジャーは3年ぶりの凱旋帰国を果たした29歳の渕正信。大怪我で4月にベルトを返上した大仁田と、ウルトラセブンを挟んでの試合前作戦会議です。
渕を迎え撃つのは5月の王者決定トーナメント(参加メンバー:越中、三沢、ウルトラセブン、マイクデービス)を制したチャボゲレロ。
戴冠はこれが3度目。今やJr絶対王者の貫禄すら漂います。
楽勝のベルト防衛でドヤ顔のチャボ。これに我慢ならない大仁田はプチ大仁田劇場を敢行します。
しかし当時の大仁田は歩行にストップを掛けられるレベルの深刻な状態。下っ端の三沢&川田&後藤が体を張ってサンダーファイヤーを制止しました。

テリーとは無関係の10.4いわき大会。
これが「2回目の来日」となった東洋の神秘・ザグレートカブキは、我関せずの馬場さんの隣で慌ただしく毒霧を噴射しました。
カブキがバタバタしてたのはいわきの会場をしっちゃかめっちゃかにして超獣ブロディがリングへと向かって来てたから。
相変わらず絶好調のブロディ、今回は8.31でジャンボに奪われたインター王座を狙っての参戦です。
「テキサスのドル箱カード」と謳われるブロディvsカブキ。
しかし、馬場さんより目立つのは避けたいカブキの意向なのか、この日はダラスっぽい血の気多すぎの派手なやりとりは見受けられませんでした。
その馬場さんはハンセンのPWFベルト奪取が最大目標。
実況倉持アナのインチキ情報によると、この日は15時半に一番乗りで会場入り、シリーズ前には熱海でミニキャンプを張ってたそうです。
分断され孤立無援のリング上で、ブロディの相方・キラーブルックスに羽交い絞めにされるカブキ。
しかし昭和プロレスの不文律からするとこの段階で完全にカブキサイドの勝ちフラグ。事実まんまと同士討ちを誘っていわき決戦は馬場&カブキ組に凱歌が上がりました。

後の顛末はともかく、テリーファンクの神っぷりにひれ伏すしかない昭和58年8月のアーカイブ。
今をときめく棚橋やオカダ、中邑、飯伏といった連中は、現代のいわゆるプロレス女子たちを健気なボンボン娘にまで堕とす事ができるのか?
スーパーアイドル・テリーは、棚橋の決めフレーズを借りると「昭和プロレスは遠いぞ」って感じの絶対に超えられない領域ではないでしょうか。